ドイツ連邦議会選挙(2017年9月24日)  

38 2017ドイツ選挙を前に傍観しながら

来る9月24日(日)は4年毎に行われるドイツ連邦議会の選挙日です。SPD(社会党)との連立政権を組んだCDUも,難民問題で票は下がり続けると共に,昨年末にドイツ首相候補としてSPDから選出されたマーティン・シュルツの人気が一時急激に上昇したので,CDU危機のニュースも流れていましたが,まもなく熱が冷めたのか,現在ではメルケル首相率いるCDUの楽勝と云われています。ただ,米国の例もあるので,マーティン・シュルツ勝利の可能性もゼロではないでしょうが・・・

メディアで展開されている情報を見ると,ドイツでも,良い意味でも,問題ある意味でも,不可解な意味でも,モザイク状の現代を良く映しているように思えます。

やや保守的で社会の規律を重んじる善良な人たちに支えられて来たCDU(キリスト教民主同盟),労働者層はほぼ全員,そして自分および社会の状況に不公平さを感じている人たちはSPD(社会党),名前はリベラルながら中間層の豊かな人たちが多いFDP(自由民主党),環境自然保護を前面に捉えるGrüne(緑の党),旧東ドイツ市民が多い社会主義・共産主義支持者はLinke(左の党),というお定まりの構図の中身が10年ぐらい前から大きく変わっている様子が伺えます。

外見でみるとホワイトカラーが多い日本と同じ比較はできませんが,愛国心のあるホワイトカラーはCDU,労働者層はSPD,という形はもはや存在しないようです。
そして,教育の成果か,時代の趨勢か,環境保護を重んじる価値基準はほとんどの人たちが分かち合っているので,特許を失った緑の党の支持者は離れてゆくばかりです。また,旧東ドイツの消滅により共産党も消滅,という状況には結局ならず,左翼系の党は旧東ドイツを中心に生き続け,未だに旧東ドイツと旧西ドイツの人たちは多くの根本的な部分で異なった意見を持っています。

しかし,最大の特徴は,インターネットの普及に伴ったスマートフォンの登場により(情報を伝える)メディアの形と人々の情報収集・発信方法が劇的に変わったことだと思われます。
紙の媒体の新聞を読む人たちは激減,テレビ・ラジオはニュースだけではなく全体的に40代以上の視聴者だけになり,若い人たちはほとんどテレビ・ラジオのニュースに興味はないそうです。「楽しむ」形も,昔の若者の時代とは大きく異なっています。毎日毎晩テレビのトークショーなどに出演する人たちは年配の同じメンバーばかり。これじゃぁ,若者が興味を示さなくても当然,と僕でも思います。

世界有数の民主主義確立国といわれるドイツに忍び寄る国家主義の感情

政治的には,無視できないドイツの脅威ともいえる大きな存在はAfD(ドイツの別の選択の党)です。欧州連合への懐疑,ユーロからドイツマルクへの回帰を訴えて2013年4月にベルリンで結成されたAfDは,連邦議会選挙のわずか4ヶ月前の結成にもかかわらず,数週間で党則および組織をまとめて急成長します。とはいっても,長い準備を要する政党の設立なので,実際には政党を意識していなかったとも考えられるAfDの最初の会合は2010年だといわれます。ショイブレ経済大臣が,ギリシャに対して「借りた金は自分で返すのが当たり前じゃないの?」とニヤっとした表情で語る姿は,当たり前の真実を語ったとしても,ギリシャの一般市民にとっては傲慢なドイツ人と映っても不思議ではありません。
ショイブレ大臣の意に沿い,メルケル首相は「ギリシャ救済は本当に最後の最後の選択技」と発言しながらEU議会ではギリシャ救済が決定します。その決定後のメルケル首相の釈明が2010年の不快語に選ばれた「Alternativlos(選択技なし)」です。それを受け,選択不可のはずがないとして「Alternativ für Deutschland(ドイツのための選択)」が政党名に決まったといわれています。

さて,2013年の連邦議会選挙では5パーセントにわずかの差で満たなかったため議席は得られませんでしたが,AfDはドイツ全土の州議会および欧州議会で議席を獲得します。
しかし,その後,結成メンバーでもあるベアント・ルッケ(Bernd Lucke)が党首から降ろされた頃から過激的・暴力的・外国人排他的なペギダ支持者も加わり始め,極右的・国家主義的な政党になった印象です。ドイツの多くの市民は「AfDだけはあんまりだ」と考えているにもかかわらず,現在10パーセントを占めるドイツの第3党になっていることは「西」ドイツの人たちにとってはとても不思議な現象のはずですが,これが現状です。

erdogan w640もうひとつ忘れてはならないドイツに特徴的な課題として,トルコ人,正確にはドイツとトルコのエルドアン政権との現在最悪の外交関係が挙げられます。1993年に欧州連合が正式に発足し,加盟国は毎年のように増えていきます。地理的なヨーロッパという定義はある程度定まっていたように思えますが,2000年前後に東欧諸国が短期間の審査で次々と加入するのを見ながら,全加盟国がキリスト教国なので,回教国は受け入れたくないのではないかという印象は隠せませんでした。

そして,2005年10月にトルコは欧州連合加盟の申請を提出します。東欧諸国よりも経済的にはるかに豊かな国にもかかわらず,人権を筆頭とする数多くの条件不備を理由に,トルコのEU加盟手続きだけが遅々として進みません。
メルケル首相は,トルコをEUの「特権的なパートナー国」としての外交を望み,つまりトルコのEU加盟を最初から拒否する姿勢を示していました。他のEU加盟国のトルコ加盟に関する考えは知りませんが,旧社会主義国の貧困な東欧諸国が1年程度の審査で加入する中で,トルコが不公平さを強く感じていたことは否めません。そしてシリア内紛が勃発し,難民がアフガニスタンだけではなく,シリアからも大量にヨーロッパに押し寄せるようになり,トルコが経路になったので,欧州連合はトルコと交渉せざるを得なくなります。

イニシアチブを取れるようになったトルコが強気になってゆく中で,2016年7月クーデターが発生。そして,クーデターの失敗により,エルドアン大統領は政敵のギュレンの賛同者を主に,数千人の民間人を逮捕しますが,定かな理由もない拘留や弁護権も得られない粛清のような状況を見て,欧州諸国はエルドアン政権に対して非常に懐疑的になります。そういう状況の中で,在欧トルコ人に対して選挙活動を行いたいエルドアン陣営がドイツを始めとする欧州諸国で選挙活動禁止を受け,エルドアン大統領は怒りをあからさまに発した言動を繰り返します。
そして最近,トルコ系ドイツ人を含むドイツ人がテロ関与を理由に逮捕されるに至り,ドイツ・トルコの関係悪化が最頂点に達しているのが現状です。
ところで,つい最近までエルドアンにそれほど悪い感情は持っていなかった人たちも,ドイツを侮辱する言動が繰り返されるにつれ,ドイツ国内では親エルドアン者は現在とても少ないはずだと思っていたのですが,在独トルコ人の半分以上がエルドアン支持者だとレポートされていました。

ドイツの政治と政治制度